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神様 仏様になる

朝 いつものように早朝ウォーキングから帰ると ダーがTVを見据えたままフリーズしていた
あまりに突然なことで言葉もありません ご冥福をお祈りします

鉄腕稲尾和久さんが急死、突然の悲報
 鉄腕が逝った。元西鉄ライオンズの投手で、同球団や太平洋クラブ、ロッテの監督を務めた稲尾和久氏が13日午前1時すぎ、悪性腫瘍(しゅよう)ため福岡市内の病院で死去した。享年70。稲尾氏は10月30日、福岡市内の病院に入院。検査を続けてきたが、この日、容態が急変し帰らぬ人となった。現役時代は日本シリーズ3連覇の立役者になるなど活躍し、ユニホームを脱いだ後も球界の発展に寄与。しかし最近は体調を崩し、マスターズリーグの福岡ドンタクズ監督、沢村賞の選考委員などの職から離れ、静養していた。

 突然の悲報だった。10月末に入院し、検査を続けていた稲尾氏だが、容態が急変して、13日午前1時すぎ、悪性腫瘍(しゅよう)のため帰らぬ人となった。当初は1週間程度の検査入院の予定だったが、検査でも病名が特定できず、医師との相談の上、当面の仕事を控えることを決めていた。日刊スポーツの評論家活動をはじめ、地元福岡のテレビ局の出演、すでに開幕したマスターズリーグの福岡ドンタクズ監督の職、名球会の仕事などから離れていた。西鉄時代に「鉄腕」と呼ばれた右腕も病魔には勝てなかった。

 現役時代は、まさに伝説の連続だった。西鉄に入団した56年ルーキーイヤーで21勝、防御率1・06で新人王に輝くと、その年から3年連続日本一に貢献。58年の日本シリーズでは巨人に3連敗しながら、稲尾の4連投で4連勝。奇跡の逆転日本一の主役を演じ「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた。57年から3年連続30勝以上、61年にはシーズン最多タイの42勝、57年には20連勝の最多連勝記録を打ち立てた。日本プロ野球界の歴史に大きくその名を残し、プロ野球ファンの心に大きな印象を残した。先発として、中継ぎとして、連投して勝利する姿は、まさに「鉄腕」そのものだった。

 69年引退後は、西鉄、太平洋の監督を務め、78年から中日の投手コーチ、84年から3年間はロッテの監督も務めた。ユニホームを脱いでからは、評論家として野球界の発展に寄与。93年には野球殿堂入りを果たし、名球会の会長代行も務めるなど、精力的に活動を行っていた。
 昨年11月23日には、福岡市内のホテルで「プロ野球人生50周年記念パーティー」を開いた。ソフトバンク王監督ら詰め掛けた球界関係者ら約500人から祝福を受け「まだまだ元気でいたい。孫たちが野球選手になってほしいけど、せめてキャッチがきちんとできるくらいは頑張りたい」と話していた。

 また、今年10月2日、大分・別府市に「稲尾記念館」が開館。記念館が入っている別府市民球場の落成式に出席し、元気な姿を見せていた。記念館には寄贈のユニホームや表彰盾などが展示され、自らの投球フォームのブロンズ像を除幕した稲尾氏は「これを見た子供がまねしてくれれば」と喜んでいた。自分を育ててくれた地元別府市に「第2の稲尾」が育つような環境づくりにも全力を注いでいた。

 日本が生んだ鉄腕。「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれる伝説の投球を生んだ九州福岡の地を愛した右腕は、天国へと召され伝説の人となった。

稲尾和久記録アラカルト

 ◆通算成績 14シーズン(56~69年)756試合276勝137敗。3599投球回、防御率1・98、2574奪三振

 ◆プロ野球記録 最優秀防御率5回、シーズン最多勝利(61年42勝)、最多連続勝利(57年20連勝)

 ◆パ・リーグ記録 最多勝4回、ベストナイン5回、シーズン最多登板(61年78試合)、シーズン最多投球回(61年404回)、シーズン最優秀防御率(56年1・06)通算最多シーズン20勝以上8回など

 ◆タイトル 最高勝率2回(57、61年)、最優秀防御率5回(56~58、61、66年)最多勝利4回(57、58、61、63年)最多奪三振3回(58、61、63年)

 ◆表彰 新人王(56年)、最優秀選手2回(57、58年)、ベストナイン5回(57、58、61~63年)、最優秀投手2回(57、58年)連盟特別表彰2回(57、61年)

 ◆日本シリーズ 出場4回(56~58、63年)18試合登板、防御率2・45。通算最多の完投9回、11勝。58年MVP

 ◆監督成績 通算8年10シーズン(70~72年西鉄、73年前期~74年後期太平洋、84~86年ロッテ)431勝545敗64分け、勝率4割4分4厘。最高成績は84、85年のロッテ2位。

 ◆殿堂 93年に競技者表彰で野球殿堂入り。
(日刊スポーツより)

by fuuki-no-botan | 2007-11-13 14:33 | スポーツ